びんたとえん

スマトラ島の森で一人暮らし中です。

東日本大震災を振り返る②

協力隊へ行く 東日本大震災 ②

 

自宅についた私はまずテレビをつけて衝撃を受けました。

コンビニが、屋根の上まで水に浸かって今にも流されようとしている映像が映っていました。

また、千葉の石油コンビナートが爆発炎上して火の海になっているとも。

テレビをもっと見ていたいところでしたが病院に戻ってとろみ剤を溶かさなくてはなりません。

カセットコンロをつかむとすぐに病院へ戻り、必要な分だけとろみ剤を作り配膳し、結局その日は仕事が終わったのは夜7時近かったと思います。

 

家に変えてニュースを見ると津波の被害の大きさと深刻さがわかってきて、私の住んでいた関東地方では住んでたアパートが壊れるんじゃないかと思うほどの余震も一晩中起こり、これはいよいよ死ぬかもしれない。日本も終わりかもしれない。とせめてアパートが崩れ落ちても大きな建材が落ちてこなさそうなところに布団を移して寝ました。

 

次の日から、大パニックです。電車が止まり、みんな大きな余震と放射能におびえながら過ごしました。

 

テレビやラジオでは民間のコマーシャルが放送されなくなり、ぽぽぽぽーんというCMばかり目にするようになりました。アナウンサーは、なるべく通勤や通学は控えてください。洗濯物は外に干さないでください。と繰り返し、そんなこと言われてもどうすればいいだろうなぁ。と思ったものです。放射能汚染が心配な水道の水はなるべく飲まないほうが良いのではといったうわさも流れ始めるとペットボトルの水 トイレットペーパー お米 インスタントラーメン

缶詰やハム お餅など保存食 懐中電灯や乾電池やカセットガスなんかがスーパーからもコンビニからもあっという間に消えました。

買いたいときに買いたいものが買えない。そうした状態が2週間くらい続いたんじゃないかと思います。また、計画停電を始めると政府が発表した後、オール電化の調理場は軽くパニックになりました。

 

この2週間の間、たまたまほかの職員が手に入れることができたカセットガス1本と私が持って行ったカセットコンロ。これが急な停電が起こった時のためのお守り代わりになりました。

 

次回へ続きます。